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七つの顔を持つ男-寺谷一紀オフィシャルウェブサイト

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大学客員教授


少しでも多くの後輩を育てたいと思います

NHK在職中から、大阪経済大学や大手前大学などで、メディア論などを講義する機会に恵まれました。独立してからは、立命館大学の衣笠エクステンションセンターで4年間講師をつとめ、放送業界をめざしている学生の指導にあたりました。平成15年春から、追手門学院大学人間学部・社会学科の講師として3年間、マスメディア論を講義。平成18年春に、追手門学院大学の客員教授に就任しました。教え子の中には、すでにテレビ局などのマスコミ業界で働いている若者が多くいます。

主な講師先

追手門学院大学

平成18年から6年余にわたり、客員教授をつとめました。
追手門学院は、幼稚園から大学院までの総合学院であり、2008年、創立120周年を迎えました。
大阪城ホールにて、数千人を集め盛大に行われた記念式典の司会進行もさせていただきました。

立命館大学エクステンションセンター

多くの教え子たちが、マスコミ業界へと巣立っていきました。私のもとで、地域に密着したジャーナリズムの重要性を学んだ若者たちが、東京一極集中のメディアのあり方を変えていってくれることを願います。

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立命館大学の教え子たちとの飲み会シーンです。

講義はもちろんですが、こうして学生たちとワイワイやりながら、交流することも大切にしていました。
上の写真は、講座の修了にあたって、私への寄せ書きを作ってくれているところです。
この時の卒業生の中には、NHK京都放送局のキャスターとして活躍している藤井志保さんがいます。

これからの放送業界は、地上波のデジタル化など、問題や課題が山積しています。
日本も、地上波とBSが中心の現状から、ケーブルテレビとCSが主軸となる、欧米先進国なみのメディア環境に変わっていくことができるのか。
教え子たちの活躍に期待しています。

ウエブ講座(このウエブサイトに来ていただいた方のためだけの講座です。随時更新します)

「どこかおかしい日本のメディア」(2007.10.1)
先日、取材でベトナムを訪れた時のことです。ホーチミンシティを中心に滞在していたのですが、メディア環境が、日本よりもはるかに「国際的」になっていることに驚きました。
一般家庭にもケーブルテレビが普及し、BBCやCNNなどのニュースから、ディスカバリーチャンネル、カートゥーンネットワークといったドキュメンタリーや娯楽番組まで、世界基準のグローバルな放送が、ごく当たり前に視聴されているのです。自国のテレビ局とあわせて、少なくとも100チャンネルはあります。
日本でも、スカパーやケーブルテレビの有料放送に加入している人なら同じようなメディア環境になりますが、なぜか国内専用の地上波やBSが中心で、世界の放送を見るという意識は低い。同時に、専門チャンネルを選択して視聴するという習慣も、日本ではまだまだ定着していません。
日本のテレビを食べ物に例えれば、「幕の内弁当」といったところでしょうか。日替わりで色々なおかずが詰まった弁当を、毎日飽きもしないで食べ続けているようなもの。まるで主体性がありません。お仕着せが楽で、人と同じが安心という、いかにも日本人的な発想なのです。これで先進国と言えるのかどうか。まさに、メディアの「島国」であり「井の中の蛙(かわず)」です。
こうした特殊な状況を後押ししてきたのが「ハイビジョン」。テレビをキレイに見せようなどと言うのは、もはや20世紀の発想です。この重厚長大な技術が足かせとなって、世界的にスタンダードになっているCSやケーブルが普及しない。日本の国策が、既存の地上波を守り、ハイビジョンを生かすという流れでもう20年以上も来てしまったため、今更後には引けないと言うことなのでしょう。
しかし、テレビ局も視聴者も、世界的な視野を持てないまま、ズルズルと内にこもっていたらどうなるか。
「センス」という言葉がありますが、世界の洗練された放送と日常的に接している人々と、美意識や価値観など、あらゆる点で差がついてしまうような気がします。
日本がメディアの「孤児」にならないためにも、国は、手遅れにならないうちに、地上波の既得権益を守るという施策を転換してほしいと思います。

「いびつなメディア環境が人心を荒廃させる」(2007.11.1)
最近、大学などで多くの学生たちと接して痛感することがあります。それは、彼らが「極めていびつなメディア環境」に置かれているということです。
大半の大学生は、テレビはあまり見ませんが、話題になっているドラマやスポーツ中継だけはチェックしています。そして、普段のコミュニケーションは、もっぱらメールに依存し、情報は、安直にインターネットに求めます。さらには、自己表現のツールとして、ブログなどを書いているのです。
そこから見えてくるものは何か。私は、「主体性のなさ」と「自己満足」という、二つの側面があると思います。
いまや世界の大半の国が、テレビは数百チャンネルが当たり前であり、自分の意思で「選択視聴」するものになっています。日本のように、わずかな地上波だけが独占しているというのは異常な状況です。ましてや、人と同じものを見て安心するという心理は、テレビが特別な存在だった高度成長期の発想です。日本のテレビは、まさに前世紀の古い価値観を引きずったままで、一向に進化していません。
その一方で、インターネットは、ほとんど何の規制も無く、野放しにされてきました。人前で自分の意見を言うことが苦手な人々も、ここでは饒舌になります。相手の顔が見えないことに加えて、匿名性も高いからです。
さらには、「ブログ依存症」のような、半ば病的な環境も生まれています。ブログを書いて自己主張することで、自分の存在価値を再確認するという、いわば「自己満足」のプロセスは、高じると、ブログを書かずにはいられないという、強迫観念のようなものまで生み出してしまうのです。
本来「日記」というのは自分だけのもの。それを不特定多数に見せるという矛盾した行動は、「偽りの自分」を「演じて楽しむ」行為であり、麻薬のようなものです。そこから抜け出せなくなってしまうと、現実社会で生きる本来の自分の姿を、見失うことにもなりかねません。
若者に限らず、現代の日本人には、相手の顔が見えるところで、堂々と議論しながらコミュニケーションするという姿勢が、あまりにも足りないように感じます。これはとても怖いことです。
ネットの世界は、広いようでいて、実はとても狭いものです。利用はしても、依存してはいけない。
私たちは、喜怒哀楽というものを、相手の顔も見ず、声も聞かずに、しっかりと表現できるのでしょうか。人間とは、そんな底の浅い、薄っぺらなものでは決してないと思います。

「常識を疑うことから始めよう」(2008.2.11)
 最近、食の安全について講演してほしいという依頼が増えています。私はもう十年以上前から、取材などを通じて食の裏側を垣間見てきており、食の安全について警鐘を鳴らしてきました。相次ぐ食品偽装や、中国産の冷凍食品の農薬汚染問題で、ようやく一般消費者の関心が高まってきたというわけです。
 そもそもジャーナリズムの根幹は、常識を疑ってかかるということです。大手メーカーの製品でも、高級ブランドや老舗の商品でも、それだけで信用できるとは限りません。ましてや、テレビや新聞で大きく宣伝されているから安心だとか、デパートで扱っているから安全だなどと考えるのはナンセンスです。
 食品は、パッケージの原材料や原産国などの情報を丁寧にチェックして選ばなければ意味がありません。さらには、自然食品店などの取り扱い商品を研究して、見る目を養う必要があります。
 たとえばヨーグルト。健康食品の代名詞のように思われていますが、本物は少ない。本来、ヨーグルトは生乳から作られるものです。原材料は生乳だけであり、何かを加えるにしても、せいぜい砂糖や香料ぐらいのはず。ところが、そうしたヨーグルトは、大手スーパーに行ってもほとんどありません。20種類以上のヨーグルトが陳列されていても、本当にヨーグルトと呼べるものは1つか2つあれば良い方です。
 では、大半はどういうものなのか。大手メーカーの製品には、原材料の最初が“乳製品”と表示されているものが多くあります。乳製品とは、すなわち脱脂粉乳のこと。しかし、脱脂粉乳だけでは乳酸発酵が進みにくいので、ヨーグルトらしくするために、実に様々な添加物が使用されているのです。
 たとえば、すっぱくするための酸味料。トロトロにするための増粘多糖類やゲル化剤。舌触りを良くするための乳化剤や安定剤。白さを出すためのココナッツオイルなどなど。
 これはもう、ヨーグルトというよりは、ヨーグルトのような風味を持つ合成添加物のかたまりです。
 こんな事例は氷山の一角で、ありとあらゆる食品に、いわゆる“本物”と“まがい物”があるといっても過言ではありません。あげていけばキリが無いのでやめておきますが、大手メーカーの製品のほとんどが、かなりの添加物に依存していることは事実です。そして、中国製の冷凍ギョーザのような加工食品よりも、目に見えない添加物の方が、ある意味で恐ろしいと思います。よほど注意しないと、避けられないからです。
 そしてもうひとつ。輸入穀物の“ポストハーベスト”という問題があります。大豆や小麦などは、収穫され、海を越えて日本に運ばれてくる間に、腐ったり発芽したりしないよう、何回も薬剤で処理されているのです。
 こうしたポストハーベストの危険をはらんだ穀物は、私たちのまわりのほとんどの食品に使われています。とくに影響の大きいのが大豆。味噌やしょうゆ、油などに加工されて、それがまた様々な食品に二次加工されるだけでなく、添加物として最もポピュラーな乳化剤も、この大豆を原料にしているのです。
 私たちは、知らず知らずのうちに、とんでもないものを毎日少しずつ口にして、体内に蓄積しているのです。
この恐ろしさは、気づいていない人が多いだけに、冷凍ギョーザなどの比ではありません。
 よく、人は見かけによらない、などと言いますが、食品もまさにそうです。いくら外面が良さそうに見えても、中身がぜんぜん違うということは、ごく当たり前なのです。それほど、だまされやすいのです。
 常識を疑い、本物を見極める鋭い目を持つことが、自分たちの身を守る唯一の方法だと言えるでしょう。


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